ブログを見に来ていただいて、ありがとうございます。
36歳で看護学校に入学し、40歳で看護師になりました。
とうこです。
私は、現在、内科のクリニックに勤務しています。
看護師になって早10年、やっと「看護師やってて楽しい!」と思うようになってきました。
今までは、「看護師向いてないよ…。」と毎日思っていました。
とうこってこんな人
うつ病
看護学生時代に、うつ病を発症し、約10年闘病しました。
一時寛解しましたが、2021年夫の急逝に伴い再発し、今は内服治療とカウンセリングを受けています。
猫
茶トラくんと白三毛ちゃんの保護猫兄妹(4歳)と暮らしています。
茶トラ君は、毎朝5時に人の顔を舐めて起こしに来ます。
白ミケちゃんは、猫じゃらしが大好きで、よく持ってきます。
かわいいです。
片頭痛
片頭痛持ちで、たまに、頭痛&嘔吐で寝込んだりしてました。
ひどかった頃は、吐きすぎて、2か月で10㎏痩せました。
今でも雨の日や、月経の前、スマホを見すぎたりすると辛いです。
なので家事は適当です。
得意料理は、卵雑炊です。
趣味
看護師になるまでは趣味で、クラッシックバレエを習っていました。
お稽古を再開させたいのですが、片頭痛持ちなので、毎週決まった曜日にお稽古に行けるのかが不安で、なかなか再開出来ていません。
「バレエを習っていた。」と言うと、ほぼ確実に、「180度開脚出来るの?」とか「Y字バランスやって!」とか言われますが、
出来ません!!
趣味ですから!!
でも180度開脚には憧れていますし、お稽古も再開したいので、密かに自宅でストレッチをしたりもします。
看護学生時代にうつ病を発症し、留年
36歳で看護学校に入学したので、クラスで最年長でした。
なぜか、謎の責任感が発動し、「最年長なんだから、しっかりしないと!」とか
「若さ=元気=体力」がないんだから、その分、知識でカバーしないと!とも思って、必死で勉強していました。
必死過ぎて、睡眠時間や気分転換の時間を削り続けました。
3年生の実習中、朝起きられなくなり、なんとか起きても、だるいし、熱っぽいし…。
それでも、頑張って行きましたが、行く途中は涙が止まりませんでした。
そんな日が続き、実習を欠席する事が増え、留年が決まりました。
学校の先生から勧められ、心療内科を受診しました。
初診の日、涙が止まらず、うまく話せませんでした。
先生は1時間近く私の話を聞いてくださって、「辛かったですね。」と言い、ボックスティッシュを箱ごと差し出してくれました。
その日から抗うつ剤と、抗不安薬の内服が始まりました。
病棟に入職したけど、うつ病再発&悪化
抗うつ剤と抗不安薬を内服し続け、なんとか小康状態を保ち、総合病院の内科病棟に就職しました。
でも、勤務初日、師長さんに
「40歳で、新しい事なんて覚えられるはずないでしょう!!」と言われ、ほぼ毎日入浴介助と体交しかやらせてもらえませんでした。
たまに、突然「今日は部屋持ち」という日もありましたが、もちろん何も出来ず、激おこされ、また入浴介助…というループでした。
なんで看護師になったんだろう…。
と思い悩み、
- 段々と夜眠れなくなる
- 朝起きるのが辛い
- 無理やり行こうとしても、途中で涙が止まらない
という状態になりました。
学生時代に、同じ経験があったので、かかりつけの心療内科の先生に相談しました。
先生から、
- すぐに休みなさい
- 自宅療養が必要という診断書を書くから、休職しなさい
と言われ、入職してから、わずか5か月、9月に休職しました。
人よりスタートが遅いんだから頑張らないといけないのに、何をやっているんだろう…。
という自責の念に苛まれましたが、1か月休職した後、退職しました。
復職して、また師長さんや先輩方の、ご指導という名のパワハラに耐える自信がありませんでした。
病棟に行くのが怖かったんです。
超絶ブラックのクリニックに入職し、先生から毎日怒鳴られる
退職後何もやる気が起きず、これから何をしたらいいのかも分からず、毎日だらだらしていました。
数か月後、病棟で同期だった子がクリニックに転職しました。
「先輩達が優しいよ~。」という言葉に飛びつき、「私もそこで働きたい!」などと思い、同じクリニックに入職しました。
確かに、先輩達は優しかったです。
先輩たちは!
でも、院長が超絶パワハラマンでした。
- 看護師が電カルを開く事は許されない
- 先生の思い通りにならないと、舌打ち&怒鳴られる
- 決め台詞は「看護師なんかに何が分かるんですか!!!」 などなど
それでも、40歳で病棟経験もないから、他で雇ってもらえないよな…と思って5年、耐えました。
内科のクリニックに入職し、神のようなリーダーさんに出会う
その後、内科のクリニックなどに転職しましたが、どうも身体に合わず?、いずれも2~3か月で退職しました。
看護師になったのは間違いだったかな…。
看護師向いてないのかな…。
という考えが頭から離れませんでしたが、ダメ元で受けた、近所の内科のクリニックに合格し、入職しました。
全然自信はなかったんですが、「せっかく受かったんだから、クビになるまでやってみよう。」という考えでした。
案の定、
- 採血は下手(だって、トンボの採血やった事なかったし!)
- 問診でも何を聞いたらいいか分からない(電カル開いたら怒られる所でずっと働いてたから)
- アセスメントも出来ない(同上)
- 検査をしても、コストを取り忘れる(検査をするだけで精一杯)
毎日毎日、何も出来ない自分が申し訳なくて、「早くクビにしてくれないかな…。」と思っていました。
その日も失敗して、リーダーさんにどうしたらいいのか教えてもらっていました。
何にも出来ない事が申し訳なさ過ぎて、思わず泣いてしまい、「手の掛かるババアですみません!!!」と言いました。
リーダーさんは、
「その日、分からなかった事を1個づつ、解決しましょう。
私も分からない事だらけですよ。
一緒に頑張りましょう!」
と言ってくれました。
「神だ!」と思いました。
ここでも先輩看護師からのパワハラに苦しむ
しかしながら、またしてもパワハラに遭います。
今度はお局です。
あまりにも、私が何も出来ないので、指導が日々厳しくなっていきました。
「一緒に働く人への思いやりが足りない。」だの
「患者さんへの説明が足りない。」だの
「採血、あんなに血管怒張してたのに、なんで失敗したの?」だの…。
「なんで失敗したのか、分かってたら失敗しないよ!」
「毎日毎日、クレーマーかよ!」
「話長いんだよ!」
と思いながら、どうする事も出来ずにいました。
ただただ、勤務が被らないように祈るばかりでした。
突然のパワハラ終了
ある日、お局の飼っているペットの体調が悪いので、休みたいという話になりました。
私が代わりに出勤しました。
翌日会うと、
「とうこさんのおかげで~~、昨日は休ませてもらえて~~、ありがとね~~」
と、今までのパワハラはなかったように、気持ち悪い位フレンドリーに接してくるようになりました。
勤務変わっただけですよ!?
今では、勤務終わりに、お茶に誘われます。
意味分からんです…。
パワハラされていても、実は、毎日勉強していました
毎日パワハラの被害に遭い、当時は、家に帰ってきてから泣いてました。
夫にも、よく話を聞いてもらいました。
「辛かったら、今すぐ辞めたら?」とも言ってくれました。
でも、夫に心配かけたくなかったし、(←かけたけど)
リーダーさんが優しくて神だったし、
辞めるのが悔しかったので、
「出来るようになってやる!!」
「お前を抜いてやる!!」(←言葉づかい…)
と、毎日勉強しました。
仕事でへとへとの日は、採血のやり方の動画を見るだけ、とかですけど。
昼休みも、10分でも20分でも勉強しました。
私の問診の後、先生はどんな診察をしたんだろう?とカルテを見返したり、
処方された薬を調べたりしていました。
ブログで伝えていきたい事
そんな感じで今に至ります。
今は、採血もほぼ成功しますし、患者さんと話すのが楽しいです。
パワハラもないです。
(何か言ってきても、根拠をもって反論すれば、お局様が黙ることを発見しました。)
ただ、看護師業界にパワハラが多いのも事実です。
なので、マインド面では
- パワハラなんかに負けないでもらいたい
- うつ病なんかに負けないでもらいたい
- 看護師の仕事なんて、いくらでもある
技術面では
- 内科のクリニックで働くなら、こんな事が出来れば大丈夫
という事をお伝えしたくて、ブログを始めました。
繰り返しますが、
皆さんなら、絶対に大丈夫です!!
一緒に、乗り越えていきましょう!!
夫の急逝
2021年7月、夫が急逝しました。
夫とはよく話し、笑い、どこに行くのも一緒でした。
イラストの上手な人で、このブログのイラストも全て夫が描いています。
葬儀後は役所に行ったり、銀行に行ったり、色々忙しかったので、なんとか乗り切れたのですが、その後、半端ない喪失感に襲われました。
身体は鉛のように重く、頭も働かず、体重は1ヶ月で3kg減少。
泣きすぎて、過換気症候群にもなりました。
自分でも、「このままじゃダメだ。」と思い、グリーフケアの勉強を始めました。
なので、グリーフケアの学びも共有できたらいいなぁと思います。